(茉奈佳奈 - いのちの歌)
ニュースを見るたびに、命について考えさせられるこの頃です。
友人が後藤さんの知り合いで、この間の事件のことは、ニュースで見る前に友人から聞きました。それから毎日後藤さんのために祈っていたし、希望の光が見えそうなときがあっただけに、本当に残念です。
ヨルダンのパイロットのことを考えると、ISILは初めから交渉なんてするつもりはなく、ただ揺さぶりをかけたかっただけなんでしょうね。まったく、人はどこまで残忍になれるものか‥。
Facebookの「I Am Kenji」というコミュニティ(後藤さんの友人たちが開いたのかな?)にある追悼文を読んでいました。
・・・後藤さん、あなたがイスラム国に向かう直前の最後のビデオ・メッセージの中で言っていたことは、『何が起こっても責任は私自身にあります。どうか日本の皆さん、シリアの人たちに何も責任を負わせないで下さい』ということでした。ぼくたちはあなたの死を、誰のせいにもしてはいけないと思います。
・・・あなたが本当に最後まで、命を掛けてまで伝えたかったのは、人間の愛だと思います。弱い人たちや、虐げられている人たち、苦境に暮らす子供や女性たちへの共感の哲学だと思います。ですから、今こそあなたのために心から祈りを捧げたいと思います。世界中の人たちが憎しみ合うのではなく愛し合い、助け合い、そして平和で争のないときが一日も早く訪れることを。 (全文はこちら)
愛よりも憎しみ、平和よりも争いを選んでしまう・・・きっとそれが人間の最大の弱さなのかも。
人は、愛し、愛されるために生まれてきたというのに。
目を閉じて、じっと我慢。怒ったら、怒鳴ったら、終わり。それは祈りに近い。憎むは人の業にあらず、裁きは神の領域。-そう教えてくれたのはアラブの兄弟たちだった。
— 後藤健二 (@kenjigotoip) 2010, 9月 7
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