『花子とアン』、見ています。私が翻訳の仕事をしているので、そういった意味でも村岡花子に興味があって。(まあ、この朝ドラ、かなり実話からかけ離れた創作部分があり、フィクションという位置づけにはなっていますが)
先週は息子の歩くんが疫痢で命を落とすところで、花子の悲しみは、ドラマとはいえ痛々しかったです。
「私みたいな母親のところに生まれてこなければ、歩はもっと幸せになれた! 私の子になんか生まれてこなければよかったのに!」
誰か近い人や家族をなくすと、自分を責めるというのはよくあることですよね。
そこで旦那が花子に教えてくれたのは、歩くんの生前の言葉。
「神様と雲の上から見てたんだ。そしたら、お母ちゃまが見えたの。お母ちゃま、英語のご本を読んだり、紙にお話を書いたり、忙しそうだったよ。でも、楽しそうだった。だから神様に頼んだの。僕はあの女の人のところに行きたいです、って」
そして、空にきれいな虹がかかるのです。
どうしてこれを書いているかというと、実は先々週(つまり、ドラマの放映の前の週)、友人の息子さんが水難事故で天国へ旅立ちました。友人夫婦にとって、それはひどいショックであり、深い悲しみに襲われました。でも、その中にあっても、神が共にいてくださるのを感じたそうなのです。
先ず、息子さんが亡くなった時にきれいな虹がかかり、しかも2重でした。
そして、その数日後、お祈りをした直後に、またも大きな虹がかかり、それが2重に変わりました。
ダブルレインボーって、どれくらいありふれたものなのでしょう。私自身は、今までに1度しか見たことがありません。それが、ほんの数日の間に2回も現れたというので、友人夫婦はそれを神様からの愛と慰めのしるしと取ったようです。
そんな話を聞いた後だったので、今回のドラマのシーンは、とりわけ心に残りました。
これはダイジェスト映像には出てこないのですが、ドラマの回想シーンで、雲が地上での役割を終えた後に起こることについて、歩くんがこんなことを言っています。
「僕、わかったよ。雲はね、雨を降らせて、消えちゃったあと、虹になるんだよ。お別れに、お空の虹になったんだ」
そして、最後に、花子が原稿用紙に書いている言葉。
夕立のあった場所一帯に、美しい美しい虹が、雲のための凱旋門のようにアーチを作り、天にあるだけの輝いた光線が、虹のアーチに色をつけました。自分の命を消してまでも、人間のために尽くした大きな雲の愛の心が、別れの言葉として残した挨拶は、その、虹だったのです。
放映時間の制約のためか、立ち直りスイッチの切り替えが早すぎる感は否めませんが、これから虹を見る度に、このエピソードを思い出しそうです。
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