こんな記事を読んでいました。
「許すということ:肉親が殺されるなど信じられない状況で、それでも犯人を許した驚くべき25人の人々」
人の手で悲劇が引き起こされてしまったとき、加害者はもとより、ときには人類そのものに対しても怒りの念を抑えることは難しい。しかし、そうした酷い状況においては「許す」ことこそが、心を解放し、明るい未来につながるということを、先人たちの知恵が教えてくれている。
それぞれのエピソードがあまりにもさらっと簡潔に書かれているので、許した人たちがどうも変な人たちに見えるのが残念。けれど、実際には、そのひとつひとつが一冊の本になるほどの悲惨な出来事、葛藤の連続、そして困難を極める決断だったんだろうなあ。(もちろん、罪は罪。ここに出てくる人たちがしたのは、罪を憎んで人を憎まず、ということなのでしょう)
しばらく前に読んだ、『憎み続ける苦しみから人生を取り戻した人々の物語』という本にも、そういった出来事が生々しく書かれていて、「許しの力って、なんてすごいんだろう」と思ったものです。
特に印象深かったのが、第二次世界大戦中にナチス・ドイツから逃れてきたユダヤ人青年の話。イスラエルに移り住んでから軍隊に入り、パレスチナ人との戦闘で、相手を不必要に殴りつけたり、殺したり・・・。しかも、命令されたわけではなく、相手への憎しみだけで。
「私は、自分がもはや犠牲者ではないことを思い知りました。今や権力の側にいたのです」
そして、当局からの迫害・逮捕・国外追放などで多くの苦しみを受けた旧ソ連の作家ソルジェニーツィンの言葉。
もし邪悪な人々というものが存在して、狡猾に悪事を働いているのであれば、彼らを隔離して滅ぼせばいいだけのことだ。しかし、善と悪とを分ける一線は、あらゆる人の心の中に引かれている。そして、自分の心の一片でも滅ぼしたいなどとは、誰が望むだろうか。
アレクサンドル・ソルジェニーツィン
様々な角度から許しが描かれていて、興味深い本でした。また読んでみようかな。
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